尖閣諸島の領有権問題


竹島と尖閣諸島問題について
http://katsuyai.hp.infoseek.co.jp/territory.html
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近年問題になっている竹島と尖閣諸島についてここでまとめてみたい。以下は尖閣諸島に関する日経新聞の記事で
ある。
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1.「幻の海底油田」騒ぎ拡大に拍車 1996年10月1日(日経新聞)

東シナ海に浮かぶ尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を巡る日本と中国などとの対立が再燃、死傷者を出す騒ぎ
に発展している。直接的なきっかけは日本の政治団体による灯台建設だが、根っこには同諸島周辺で石油資源の
存在が有望視されている事情がある。もっとも、本当に巨大な海底油田があるかどうかは不明のままだ。「幻の原
油」を前にナショナリズムだけが燃えている可能性もある。 
68年の調査で判明 
同諸島は沖縄と中国・福州市とのほほ中間にちらばる五島・三岩礁の総称で、国土地理院によると総面積は約五・
六平方キロメートル。無国籍の無人島を先に占有したとして、日本政府は一八九五年に領有を宣言。戦後の米国管
理を経て一九七二年の沖縄返還と共に日本に復帰した。政府は「わが国固有の領土」との立場を崩していない。こ
の小さな諸島で領有権間題が浮上したきっかけは、六八年の国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)による「付近の
海底は石油資源の埋蔵可能性が高い」との学術調査結果のようだ。現にこの三年後に、台湾と中国が相次いで同
諸島の領有権を公式に主張している。石油がなければ、これほど間題がこじれたとは考えにくい。
だが、尖閣諸島周辺に本当に巨大な石油資源が存在するのかどうか。専門家の見方は必ずしも固まっでいない。 
手付かすの探査
この点を調べるために七三年十一月、日商岩井を中心に三和銀行グルーブはうるま資源開発を設立した。日本政府
が中国との境界と定めている東シナ海中間線の東側である日本の領海での石油開発に期待をかけたもので、同社
は試掘権の設定を日本政府に申請した。時あたかも第一次石油ショックの最中であり、石油資源開発(日SK)、帝
国石油、芙蓉石油開発のご一社も同調した。ただ、政府は中国への配慮などから申請を棚上げにしたままで、現在
に至っている。このため尖閣諸島周辺の探査はほとんど手付かずの状態だ。「かつて周辺海域を若干、物理探鉱し
ただけで、詳しいことは何もわからない」(SK)のが実態である。日本の石油関係者の間には「原油の埋蔵可能性に
ついて明るい見通しがあるわげではない」との声もある。というのも、同じ東シナ海でも中間線の西側海域鉱区は〃
本発〃だったからだ。中国は九二年に同区で第四次国際入札を実施、SK、帝石の両社が鉱区を取得したが、試掘
結巣は本成功だった。両社は広い範囲で約十五本もの試掘井を掘っただげに、落胆度は大きい。 
共同開発で打開か 
両社の鉱区と尖閣列島のある中間線東側の海底地質構造が同じかどうかははっきりしない。石油開発では隣按鉱
区でも地質構造次第で石油が出たり出なかったりする。とはいえ、SKなどが成功しなかっただけに、「中間線東側も
大油田はないのではないか」と悲観的な見方が消えない。中国は既存油田の生産量滅少の一方で国内需要が急
増しており、九三年に石油の純輸入国になっでしまった。台湾と香港はもともと石油資源には恵まれない。エネルギ
ー自立への中国、台湾の本安と幻の海底油田への期待感が、灯台建設をきっかけとした今回の騒ぎを予想以上に
大きくしていることは間違いない。これに水産資源も絡んでくるとなると、かつての日韓大陸棚開発のような主権間題
棚上げによる共同開発が打開策になりそうだ。もっとも、これを踏襲するほどには日中両国の国内事惰が整っていな
い。そこに今回の尖閣間題の難しさがある。(編集委員辻教雄)


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2. 尖閣諸島及び竹島の位置




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3. 竹島について 
Copyright1996 T.S. All Rights Reserved. 

1953年4月に公表されたアメリカの外交文書のなかで、1951年の対日平和条約締結交渉当時、韓国は、「対馬は
韓国領土である」として、アメリカへ強力に働きかけていたということが明らかになった。この韓国の対馬領有要求に
対して、アメリカのダレス国務長官顧問が「そういった根拠がない」と断ったところ、韓国のヤン駐米大使は、これに
かわって竹島の領有権を主張しはじめたという。アメリカ国務省は、これに対しても「竹島は1905年ごろから、韓国の
一部として扱われたことはなく、島根県隠岐支庁の管轄下に置かれている。韓国が領有を主張したことはないよう
だ」として、竹島が日本固有の領土であることを韓国側に通告している(8月10日付「米国務省覚書」)。こうした経緯
があるにも関わらず、韓国は実行的支配をもって1954年以来竹島を占拠している。

韓国の竹島占拠後、日本政府は1954年9月、韓国政府に対して竹島問題の国際司法裁判所(ICJ)への提訴を提案
している。しかし韓国側は「竹島は初めから韓国領であり、提訴するつもりはない」とこれを拒否。その後の働きかけ
にも応じる気配は全くない。ICJ提訴には両国の合意が必要とされているため、この方式による紛争解決の手段は閉
ざされてしまっている。その後も、「紛争解決に関する交換文書」による交渉、日韓定期閣僚会議でも、韓国側は調
停に応じようとしていない。

このような埒のあかない対韓領土外交に解決の糸口を見つけることは容易ではなく、竹島の解決策には、両国共有
案、さらには爆破論まで飛び出したことさえある。根本的解決には、関連する条約、協定が存在しないため両国の合
意、調停による解決を基本とする(日韓基本条約による「紛争解決に関する交換公文」)。しかしそのためには、係争
国の過去から現在に至るまでの様々な行為の法的意識を慣習国際法規に照らし合わせて検討する必要がある。 
従って以下では両国の歴史的経緯を振り返った後、国際法上どういった法的権利が認められるのか、問題点は何処
に存在するのかを明らかにしようと思う。 

(1)歴史的経緯

歴史的経緯を見る前に、まず竹島の地理的概要について触れようと思う。

隠岐島(島根県)の北方約157キロ、日本海のほぼ中央あたり(北緯37度9分30秒、東経131度55分)に、2つの小島
(西島(男島)、東島(女島)と呼ばれる)と、これを取り囲む数十の岩礁がある。このミニ群島が竹島で、韓国では独島
(トクソム)と称している。韓国領の欝陵島は、竹島の西北西約145キロにある。この2つの主島は、いずれも海面から
屹立した峻険な火山島で、幅約150メートルの水道を隔てて東西に相対している。面積は全ての島嶼を合わせても
23万平方メートルで、日比谷公園ほどの大きさしかない。

西島は、海抜157メートルで円錐状をしているのに対し、東島はそれよりやや低い。周囲は断崖絶壁をなし、船をよせ
つけない。ただ東島の南端には、わずかな平地があり、島の頂上にも若干の平坦な地所がある。湧き水もあるが、
飲料水は溜まり水に頼るほかなく、全島一本の立木もない。
この不毛な無人島の領有権をめぐり、日韓両国は1954年以来、執拗な争いを続けているわけであるが、その背景に
はどんな歴史的経緯があるのだろうか。

竹島の歴史を遡ると、日本がかつて経営していた欝陵島との関連性を無視することはできない。この欝陵島は、韓
国本土の東約115キロ(江原道から)の海上にある面積約70平方キロの火山島で、島には900メートル級の主峰が
そびえ、樹木が密生している。竹島とは至近距離にあるため、よく混同された。欝陵島は、6世紀の始め、新羅時代
から朝鮮領土となっていた。しかし、朝鮮本土からこの島に渡る船がよく遭難したこと、税金逃れに島へ潜入する者
が後を絶たなかったことから、李朝は、1438年に全島民を本土に移して以来、1881年まで、約450年間もの間「空島
政策」をとった。つまり、朝鮮では欝陵島への渡航すら禁止されていたのである。ただ朝鮮は1696年以後、3年に一
度巡察使を欝陵島に派遣しているが、1881年までは、この島よりさらに遠い竹島のことは朝鮮人に知られていなか
った。

一方、17世紀初頭、伯耆国(島根県)米子の海運業者だった大谷甚吉が、航海中に暴風に遭い、無人島になった欝
陵島に漂着した。彼は、新島の発見と考え、帰国後、同志の村川市兵衛とはかり、1616年に江戸幕府から欝陵島
への渡航許可を受ける。大谷、村川両家はその後毎年交替で欝陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、木材の伐
採などを行い、両家の欝陵島経営は78年間続けられた。

当時欝陵島へ渡るコースは、隠岐島から竹島を中継地にしていた。大谷、村川両家は、この竹島の経営をも手がけ
ていた。竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用されていた記録も残っている。つまり、少なくとも1616年以降、
竹島は日本人の経営支配下に入っていたことになる。ところが、1692年、村川家の持船が朝鮮漁民と遭遇する。こ
の事件が契機となり、江戸幕府と李朝との間に欝陵島の帰属をめぐる政治交渉がもたれ、後に「竹島一件」と言わ
れる歴史的事件にまで発展することになる。結局江戸幕府は1696年、欝陵島の経営放棄を決意し、この事件は解
決する。ここで注意しなければならないことは、この「竹島」は、現在でいう竹島のことではなく、当時の日本で欝陵島
のことを「竹島」と呼んでいたことからその名が付いたということである。

欝陵島、竹島に関する歴史の中で混乱を招いているのは、これらの島名が、古文書や古地図によってまちまちであ
る点である。例えば、欝陵島のことを日本では「竹島」あるいは「磯竹島」と呼び、朝鮮では「欝陵島」の他に「干山
島」「干陵島」「武陵」などと呼んでいた。これが古文書では2つの島なのか、1つの島なのか紛らわしく韓国と日本の
歴史家により違う解釈がでている。問題の竹島は、日本では「松島」の名で明治時代の領土編入まで呼ばれてい
た。

また、1700年代の末葉になり、ヨーロッパ人がこれらの島を発見し、これを地図上に記載するに当たって「竹島」(欝
陵島)と「松島」(竹島)の島名を取り違えて記入してしまったシーボルトの「日本地図」(1840)のような例も混乱に拍
車をかけている。さらに、林子平の『三国通覧図説』(1785)附図では、竹島(松島)に、朝鮮と同じ黄色を付したため
に朝鮮領土であるような錯覚を与えている。このことは現在韓国側の竹島領有権を主張する根拠の1つとなっている
が、これには有力な否定説がある。これによると、『三国通覧図説』の色別は、領土を示すものではない。なぜなら
ば、当時既に中国領土であった台湾も竹島と同じ黄色を付しており、韓国側は台湾領有権をも主張しなければなら
なくなるからである。

韓国の歴史家には、「竹島は欝陵島の属島である」として、古文書の記述を論拠としている人もいるが、これは、欝
陵島の属島である「竹嶼」を混同しているようである。
日本の歴史家には、日本の文献には今日の欝陵島や竹島の地図が数多く残されているが、朝鮮の古文書には竹
島に関する記述、地図の類は全く残されていないことを挙げる人がいる。その理由として、李朝時代の「空島政策」を
論拠にする。つまり、朝鮮漁民は、長年の欝陵島への渡航を禁止され、それより遠い竹島には渡る機会がなかった
こと、遠洋漁業の技術を持っていなかったこと等を挙げ、竹島の「先占」を説明している。

明治時代に入って、隠岐の島民が竹島でアシカ漁等に従事するようになり、乱獲を取り締まるため日本政府は1905
年、竹島を島根県隠岐島司の所管に入れることを決定した。それに基づき、2月22日付の島根県告示第40号をもっ
て、その内容を公示している。これをもって、第二次大戦に至るまで竹島の支配を実効的に継続したことになる。この
後竹島は、隠岐島の官有地台帳に登録され島根県が管理したが、第二次大戦後は大蔵省に移管、中国財務局松
江財務部所管の国有財産となり、現在に至る。竹島のアシカ漁業は、竹島の領土編入と同時に許可制がとられ、第
二次大戦が勃発するまで免許者から毎年竹島の土地使用料が国庫に納入されていた。現在は、1953 年に島根県
が設定した漁業権があり、隠岐島漁業協同組合連合会が第一種共同漁業権を持つ。これは竹島の周囲500メート
ル以内の海域における漁業権で、1954年5月まで、アワビ、サザエ、ワカメ、イワノリ等が隠岐島漁民により採取され
ていた。 

(2)日韓両国の主張

第二次大戦後、日本が置かれた立場、すなわち独立国としての外交権を持たなかった状態の中で、上記のような経
過を経て韓国側に占拠されたのである。1954年以来、韓国側は竹島の実行力支配を背景に「竹島は古来からの韓
国固有の領土である」と主張している。「固有の領土」とは、国際法上の領域権原の取得要件を満たした領土を指
す。つまり、無主の土地(terra nullius)を国家が領有の意志を持って実効的な占有を行うことによって成立することを
言い、これを「先占(occupation)」と呼ぶ。韓国側は国際法上認められているこの領域取得要件で既成事実を作り
上げようとしていると思われるが、国際法上の議論は後に譲るとして、ここではそうした議論に入る前に両国の主張
を対比してみようと思う。 

〈韓国側の主張〉

(i)竹島は、島根県告示以前には韓国領であった。島根県告示は、外国にも通告されず秘密裡に行われた一地方庁
の告示であり、このような領土編入の例は他に例がない。これは「先占」の行為であり、無主地ではない竹島に対す
るものであるから無効である。日本がそれまで竹島を放置していたのは、領土編入までは領土と考えていなかった
証拠である。
(ii)戦後の占領政策で、連合軍司令部が覚書(SCAPIN)第677号(1946年1月)で外郭地域の日本からの暫定的分
離を行った際、竹島は日本領土から分離された。また、竹島がマッカーサーライン外に置かれたことは竹島に対する
韓国側の要求に同意したものである。
(iii)竹島は、カイロ宣言にある「日本が暴力及び貪欲により略取した地域より駆逐せらるべし」という規定に該当す
る。つまり、竹島の島根県編入は侵略行為である。 

〈日本側の反論〉

(i)同告示は、政府の閣議決定に基づいて島根県知事が発したもので、日本が領土編入の慣行とする告示方法であ
る。告示は新聞にも報道され、アシカ漁業権の許可申請も行われている。外国通告を要する国際法の原則はなく、
まして古来より日本の領土であった竹島に関してはその義務もない。
(ii)総司令部の同覚書は、日本が竹島に対して行政上の権力行使を停止するよう指令したが、これは占領下の暫定
的措置であり、また、同覚書6項で「この指令の中の条項は、いずれも日本国領土の帰属の最終的決定に関する連
合国側の政策を示すものと解釈しなければならない」と断っている。さらに、マッカーサーラインもこれと同様に、日本
の統治権、漁業権の最終決定に関する連合国の政策を表明しない、との覚書がある。
(iii)対日平和条約において日本は朝鮮の独立を認めたが、日韓併合以前からの日本の領土である竹島を朝鮮に割
譲するとの意味あいはない。まして、竹島は日本が他国から暴力や貪欲により略取したものではない。 

(3)国際法上の法的権利

それでは、この事例に関し国際法上どう対処すべきであるのかを考えてみたい。

この事例は、国際法上の領域における管轄権の問題に属する。近代国際法では、領域国家としての近代国家の成
立を前提として形成されたものであって、国家がそれぞれの領域(territory)内において国際法により制限されない
限り、原則として排他的に自由な統治を行いうるという建前に立つ。それ故重要なことは、国家の領域がどのように
構成、範囲を決定するかということである。国家の統治権に基づく権力作用を管轄権(jurisdiction)といい、国際法が
そうした国家の管轄権配分の基礎的な基準となっている。
そのような基準は様々であるが、ここで問題となるのは領域権原の取得である。「領域権原」とは、領域主権の行使
の有効性の根拠となる事実をいうが、この要件は今日ではより厳格となっている。その判断の基準に当たっては、上
記の事例からも明らかなように、時間的に遡ることが多い。ところが、領域権原の取得要件も時間の推移と共に変化
しており、どの時点の国際法に従って判断するかが問題となる。これは時際法(intertemporal law)といわれ、領域
権原を取得したかどうかの判断は、証拠となる事実(決定的期日(critical date))が生じた国際法に従って判断すべ
きであり、現行の国際法を遡及適用することは許されないということを原則とする。しかし、この原則には但書があ
る。ひとつは、過去の事実に基づいて当時有効に取得された領域権原であっても、その後新しい国際法規が成立
し、その効力を否定できればそれはその時点で消滅し、以後、現在に至るまで法的効果を生じないものとして扱わ
れること。もうひとつは、これとは逆に、これらの過去の領域権原がその後、実効的占有など他の有効な権原に切り
替えられ、これに包摂されたとの十分な立証があることだ。こうした場合に限り、例外として時際法の遡及適用が認
められうる。
国際法上認められている領域権原取得の態様の1つに、「先占」がある。「先占」とは、何処の国の領有にも属してい
ない地域(無主の土地)に、国家が支配を及ぼすことによって領域とすることをいう。今日では南極など帰属未定の
地域の領有問題や領土紛争の対象となっている島や陸地に対する過去の「先占」の効力判定に、この規則が適用
される可能性が極めて高いため、以下では「先占」の定義を明らかにし、その法的根拠を事実と照らし合わせた上で
国際法上妥当な解決策を探ってみようと思う。

「先占」が有効となるためには国家が領有の意志を持って無主の土地を実効的に占有することが必要要件とされる。
これをさらに詳しく分析すると、次の四つの要件を挙げることができる。

1)「先占」の主体は、国家でなければならない。但し、私人の行為であっても、国家が権限を事前に委任するか、ある
いは事後に追認することによってこれを国家の行為とすることができる。
2)「先占」の客体は、国際法上の無主の土地であることである。無主の土地とは、いずれの国家の領有にも属してい
ない土地ということであり、その土地に人が住んでいても国際法主体である国家の領土となっていなければ、これを
「先占」しうる。
3)「先占」の主観的要件として、国家が領有の意思を表明しなければならない。この領有意思は、当該地域を国家の
版図に編入する旨の宣言、立法上、行政上の措置、他国への通告などによって表示される。通告が「先占」完成の
ための必要条件であるかどうかについては説が分かれているが、通説によれば、これを否定し、それ以外の手段で
領有意思が表明されていれば足りるとする。
4)「先占」の客観的要件として、実効的な占有を行わなければならない。つまり、無人島を発見し、その上に国旗を掲
揚するなどの象徴的領土編入行為を行っただけでは有効な「先占」とはならない。通説では、発見に未成熟の権原
(inchoate title)を認めて、発見した国に相当期間の優先権をもたらすとするが、実効的占有がその後に続かなけれ
ば領土取得は成立しない。ここで、実効的占有の意味について問題となるが、これについては説が分かれている。1
つは、土地の現実の使用、定住といった物理的占有と解する説、2つめは、当該地域に対する支配権の確立という
社会的占有と解する説である。今世紀における国際判例は全て後者の説を支持しており、この方が正しいということ
ができる。物理的占有は19世紀初頭まで「先占」の要件と説かれることが多かったが、その後、占有の重点は社会
的占有に移っている。それ故、定住人口の存在は実効的な占有を媒介するものといえるが、それだけでは「先占」は
有効とは成らず、国家の支配がその上に及ぶことを要する。また逆に、無人島や定住困難な土地などの場合は、軍
艦や公船による定期的巡視をするとか、必要なときに随時国家機関を派遣するなどの方法で、国家機能を及ぼすこ
とにより「先占」することも可能である。以上のように、「先占」の完成に必要な実効的占有の程度は、土地の地理的
状況や居住人口の密度により異なり、絶対的なものではない。従って、人間の居住が極めて困難な極地でも「先占」
により取得することは可能であるといえる。

では、こうした国際法的根拠からどういった法的権利が認められるのか。
以下の議論では、決定的期日を1905年として話を進めていく。なぜならば、韓国側がこれ以前に竹島を実効的に支
配していたことを証明する事実がなく、近代国際法の要求する領土取得の要件に足りうると考えられるからである。

まず時際法理論に従い、1905年当時の国際法を簡潔に振り返ってみたい。当時は国際機関である国際連盟の発足
の15年前である。国際連盟と同時に発足された常設国際司法裁判所(PCA)のような国際裁判所もなく、国際社会
の組織化は十分ではなかった。諸国の国際協力がようやく進み始めた段階であり、国際機関といえば行政的・技術
的な事項を対象とした国際行政連合(international administrative union)に限られ、立法条約(law-making 
treaties)、とりわけ開放条約(open treaty)が主な国際法規範であった時代である。裁判においては、仲裁裁判条
約の締結により紛争処理方式としての義務的仲裁裁判がようやく採用されつつあった。そのため、日本側の主張に
あるように、当時の国際法には領土編入の際の島根県告示の外国通告が国際法の原則であったとは言えない。ま
してや、そうした条約も締結されていない。また、時際法理論の但書に沿うような歴史的事実や国際法規の存在もな
い。

それでは、日本側の竹島の領域管轄は「先占」と認められるか。1)「先占」の主体は、日本、即ち国家である。2)「先
占」の客体は、近代国際法のいう無主の土地であった。上記の歴史的事実からも明らかであろう。3)「先占」の主観
的要件として、日本は領土編入の慣行とする告示を行い、領有の意思を表明している。4)「先占」の客観的要件とし
て、実効的な占有が行われている。島根県告示以降の竹島の領域権原の取得の証拠たる歴史的事実をみれば、
言うまでもないであろう。対日平和条約第2条(a)により、日本は朝鮮の独立を承認し、済州島、巨文島、及び欝陵島
を含む朝鮮に対する全ての権利を放棄した。しかし、竹島は日本が放棄した地域の中には含まれなかった。

以上のように国際法規に照らして検討すると、竹島の領域における管轄権は日本側に存在すると言わざるを得な
い。従って韓国の竹島占拠は、領域権原取得の決定的期日を実効的な支配をもって作り上げようとする策略であり、
征服行為であると捉えられても仕方がないのではないか。征服(subjugation)は、国連総会が1970年に採択した
「友好関係宣言」の原則1の10からも明らかなように、合法的な領土取得としては承認されていない。また、たとえそ
うして歴史的に新しく決定的期日を作り上げたとしても、時際法理論の但書からも明らかなように、国際法の法的根
拠にはなりえず、ましてや法的権利が存在するようになることはありえない。従って、現行法上の根本的解決策はや
はり「紛争解決による交換公文」による調停に頼るほかないということが言えるのである。 

(4) 問題点

竹島問題を一層困難にしているのは、韓国の反日感情が尋常でないということだろう。1965年の日韓基本条約締結
により日韓正常化がはかられた際に両国の合意をみた「紛争解決による交換公文」も、今となっては有名無実であ
る。この交換公文の内容は、「日韓両国の全ての紛争は、まず外交ルートを通じて解決されるべきこと、さらに、これ
で解決できない場合は、両国政府が合意する手続きによって調停し、解決を図ること」であったはずである。しかし、
韓国は竹島問題が交換公文に言う紛争ではないと主張し、調停には応じようとしていない。現在外交ルートを閉ざさ
れたまま、国連海洋法条約批准を契機に再び竹島問題が再燃しているが、問題をこれ以上複雑にしないよう、感情
的にならず、まず早期に話し合いの場を設け、議論することを韓国政府に要請したい。日本政府も韓国側の反日感
情を少しでも氷解させる努力をするべきであろう。 

〈参考文献〉
・上地龍典『入門新書 尖閣列島と竹島ー中国・韓国との領土問題ー』(1978, 教育社)
・田畑茂二郎、石本泰雄編『ニューハンドブックス国際法(第二版)』(1992, 有信堂)
・香西、太寿堂、高林、山手編『国際法概説(第三版)』(1993, 有斐閣双書)
・田畑茂二郎『国際法新講(上)』(1994 ,有信堂)
・『外交官レベル 実力完成講座 国際法』(東京リーガルマインド編, 1995)
・小田、石本編『解説条約集(第五版)』(1994,三省堂)

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櫻井よし子  中国を語る (仮題)

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